ときめいてメモリアル

ときめきいて人生

未だ人にあらず

 

525600.hatenablog.jp

 

 私の場合、祖父にわりといちゃもんをつけられていた。戦後、むちゃくちゃ苦労したのは知っているし、4人の子供を育て上げるのも大変だったと思う。でもゴリゴリの昭和の価値観で叱られるのは勘弁してほしかった。

 祖父の中では「結婚して子供を産まない女は人ではない」くらいの考えがあった。「結婚もせず、子供を持たない、女にそんなわがままは許されない、そんなことでは国が立ちいかない」とはっきり言われたが、少子化問題は私個人がどうこうすることではなく、国が考えることだ。

 そして結婚はお前がそれなりの人間であればできるはずだ、と遠回しに言われていたので私はそれなりの人ではなかったようだ。従兄弟(祖父にとっては同じ孫である)が早々に結婚し子供が二人いたため、その考えに拍車をかけたのかもしれない。当時私は29歳で結婚は機会があれば、と思っていたが、付き合っている人すらいなかった。

 総合的にみて(幼少期の思い出補正なども含め)、祖父は嫌いではなかったけど、この未婚問題に片が付く前に祖父は亡くなった。その後私は結婚はしたのだが、今現在、意図的に子供を持っていないので、祖父の中で私は未だに人間ではないのだと思う。

 

「地獄は地獄のままでありつづける」とタイトルにもあるが、周りの環境や人が当人にとって地獄だった場合、「逃げる」か「シカトする(流す)」の二択しかないと思う。祖父とは頻繁に会っていたわけではないので、説教も聞き流せたけど、これ近い距離でやられたら無理。かといって祖父との縁は切れないし、会わないなどと言ったら母(母方の祖父であった)は悲しむだろうし。

 働いている、働いていない、結婚している、結婚していない、男性が好き、女性が好き、誰も好きじゃない、子供がいる、子供がいない、お金がある、お金がない、大卒、中卒、太っている、痩せている、などいろんな要素をひとはそれぞれ持っていて生きている。そしてその要素を攻撃してくる人がいる。反論したい、戦いたい。でも言ったら、そんなことをしたらその場の空気がおかしくなる、仕事を回してもらえなくなる、ママ友からハブられるとかいろいろあるから黙る。シンプルにつらい。

 

 文中に出てくる「自分で選んだ人生を自分で肯定できないひと」という言葉に膝をたたいた。でもよく考えるとこれってめちゃくちゃ難しい。どのくらいできる人がいるんだろうか。後悔しない人生を送るのはむずかしいので、「我が生涯に一片の悔い無し」ってどんだけだよって思う。祖父は「自分で選んだ人生を自分で肯定できないひと」ではなかったと思うが、「自分が正しいということをちっとも疑わない人」ではあったと思う。うーん強いな。勝てる気がしない。

 そんな状況だったら誰かに、自分以外の誰かに、「大丈夫だ」「正しい」「好き」と言ってもらいたい。私は間違っていない、と思いたい。それが良いことで、正しいことだと思いたい。そうなるのも頷ける。でも余裕がない。他人を肯定してあげられるだけの余裕がない。だからマウンティングして安寧を保つ。う、やはり地獄だ。

 父方の祖母は元気なのだが、話を聞く限り、齢90を過ぎてもマウンティング合戦は終わっていないので(孫の有無、子供の暮らしぶり、本人の経済状況などポイントはいくらでもある)死ぬまで地獄だ。

他人がどうあっても気にしない、の域に私も含め、ひとが達するにはまだ百年くらいはかかる気がする。もっとかもしれない。